開かずの扉

私の祖父母の生まれは北海道の妹背牛という町。私はこの街のことが好きだったけれど、「妹背牛」という名前は嫌いだった。何となく禍々しくて、あまり縁起がいい名前ではない気がする。家族で帰省した時には、何もやる事がない事が楽しみだった。交差点に当たるまで自転車に乗って走ったり、読み慣れない本の読むフリをしてみたり、用水路を飛び越えてみたりと何もない田舎にはやる事がいっぱいあった。ひまわりが綺麗な街が近くにあって、昔、よく、祖母が連れて行ってくれた。しかし、幼い私はひまわりの魅力に気がつかず退屈するばかりだった。ひまわり畑の近くに大きなコンテナの様な建物があるあって、そこでは地域の特産品や食べ物がちらほらっとあった。私はひまわりより、こちらに目がなかった。何でこんな話をしたかと言うと一昨年にお墓まいりを行った時、ひまわりが見たくなって、ひまわり畑に行ったのだけれど、ひまわりの時期は過ぎていて元気のないひまわりがあって、懐かしのコンテナは跡形もなくなくなっていた。私がここをしばらく訪れなかったからみんなヘソを曲げてしまったのか。ヘソを曲げたにしても、やり過ぎではないだろうか。祖父母の家の2階には、開けたことのない小さな扉があった。この扉の先には、いったい何があったのだろうか。祖母は、叔母の部屋だったと言うけれど、私はその目で見ていないし、きっと今感じる寂しさが詰まっていたのだろうと私は思う。